福岡高等裁判所 昭和38年(う)633号 判決 1963年12月24日
被告人 深川貞祐
主文
原判決を破棄する。
被告人は無罪。
理由
弁護人湯川久子が陳述した控訴趣意は、記録に編綴の同弁護人提出の控訴趣意書に記載のとおりであるから、これを引用する。
同控訴趣意中事実誤認の論旨について。
所論は、被告人が駐車中の自動四輪車に乗車するに際しては同車の後方即ち東方から進行して来る人車の安全性を十分に確認した上で同車のドアを開いたのである。しかるに被害者中原正尚において二〇米東方から駐車中の右四輪車を認めながら酩酊の上傍見しながら原動機付自転車を運転進行したために同自転車のハンドルを被告人が開いたドアに接触させて転倒負傷するに至つたもので、被告人に何等の過失もないから本件業務上過失傷害罪は成立しないというにある。
よつて原裁判所で取調べた証拠に当審における事実取調べの結果を綜合して考察すると、昭和三七年四月一三日午後一〇時二〇分頃被告人は佐賀市巨勢町所在の城東モータース前国道三四号線に佐賀市都心部方面(西方)に向けて道路左端に駐車していた自己所有の軽自動四輪車に乗車する為、該車の後方を廻り、右側運転者席の扉を開けようとして、右扉に右手をかけて半開にした際、神埼方面(東方)から進行して来た中原正尚の運転する第一種原動機付自転車が右扉に衝突し、因つて該自転車は右斜前方数米の地点に右ステツプを下にして被害者諸共転倒し、同人に加療約一ヶ月を要する頭部打撲等の傷害を負わすに至つた事実が認められる。そして、
(一) 右事故発生の現場は幅員七・六米の舗装部分の外に非舗装部分が両端に約一・五米宛存し、平坦な直線道路で何等障害となるものは存在せず見透の良好な場所であり、前記四輪車は城東モータース前の舗装部分の左端に約〇・一〇米を残して駐車し、車道上中央線までは該車の扉は全開又は半開の場合いずれも優に約二米を余しており、(城東モータース前の非舗装部分にはその軒下に自転車などが置かれていた)附近は城東モータース及び丸吉食堂の屋内灯、並びに小野医院の看板灯、附近の水銀灯の照明で該四輪車の駐車状況は判明し得られたこと、
(二) 被害者中原正尚は当夜二時間位前に飲酒した後暫時休養して帰途につき、自宅附近から紛失物に気付いて引返えし、路上に紛失物を探しつつ時速約三〇粁で前記自転車を運転して中央線より左側を進行して来て、右四輪車をおよそ四〇米位東方(証人中原正尚の証言による、但し同証人は原審では二〇米位と供述している)において発見したが、該自動車の尾灯が点灯されていたのは見ていないし、該自動車の後方から出て車の右側を運転者席の扉に向いて歩行する人影(被告人の姿)には気付かず、自動車の右側を通行し得るものと考えてそのまま運転した(尤も当審において同証人は約五・七米位のところから右にハンドルを切り、ハンドブレーキを握つたと供述しているが、措信し難い)ところ、自動車の扉に衝突して転倒したもので、自転車の左ハンドルカバー附近か、後輪の上の荷台の左側部分が接触したものと見られること、及び被害者が転倒した直後に西方から進行して来た祐徳バスが附近に急停車したが、右バスの進行して来る際の前照灯の光は被害者の運転に支障を及ぼしたものとは考えられないこと、
(三) 被告人は城東モータースから所用を済ませて出て四輪車の後方車道上に出て、東方、西方の道路上を見渡したところ、東方の可成り遠距離に車の前照灯一個(この前照灯が被害者の自転車のものであるが、当審における検証の結果によると、被告人が見渡した地点から扉を開いた地点に到る歩行所要時間、被害者の車の速力等の関係から推しても、被告人の指示説明するように二〇〇米以上の距離とは考えられない)を発見した外、進行して来る車輛を認めなかつたので、自動車の右側運転者席の扉を半ば開いた途端に被害者の自転車が衝突して、右手指を負傷し車の扉を破損したものであつて、車道上の該部分においては駐車中の四輪車の右側は中央線まで約二米の余地があり、車体の幅員〇・六八米の原動機付自転車の通行には支障のない状態であつたこと、
がいずれも明らかである。
そこで、右の状況下において、被告人が自車の運転者席の扉を開くに際し、被害者の自転車と衝突する事故の発生を予見することが可能であつたか否か、すなわち、業務上の注意義務に欠くるところがあつたと認定することができるかどうかを次に検討することとする。
なるほど、福岡県及び佐賀県においても、道路交通法施行細則で「他の交通の妨害とならないことを確認した後でなければ乗降口のドアを開閉してはならない」旨規定しており、自動車の運転者は交通の秩序、安全、及び円滑の維持に必要な予見と注意をなすべき義務があることは言を俟たないので、予想される危険を回避するに必要な措置を怠つてはならないのであるから、一般的に云つて、道路中央側の扉を開閉して乗降しようとするときは、自己車の後方より進入して来る車輛の通行を確め、後続車輛の追越通行の妨害とならないよう開閉すべき業務上の注意義務があることは原判決に説示のとおりである。しかしながら、降車の為扉を開く場合と、乗車の為扉を開く場合とでは、その注意義務の具体的内容において自ら逕庭のあることを否み得ない。蓋し、降車の場合には扉が開くのは後続車の運転者にとつて突然の事象であり、全く予見できないのに反し、乗車の場合には、これを開く人が車の傍に立つているので、何人もこれを予見することは可能であるからである。
ところで、およそ、交通量の増大、高速度化に伴う危険の増大した現今においては公の道路交通に関与する者は、相互に他人が危険に陥るとか、損害を受けるとか、避け得られないような妨害若しくは迷惑を蒙らないよう通行する注意義務が特に要請されるのであるが、他面自動車の運転者は特別の事情の存しない限り、他の交通関与者も合理的で訓練の行届いた且つ法規に合致した適正な行動に出るものと期待して運転するのが通常であると考えられるから、相手に適正な行動を期待し得ない、言い換えると危険な行動に出る可能性がある客観的状況が存在し、これが予見できるときには、これに備えて万全の処置を講じなければならないけれども、相手が期待に反して危険な行動をとつた場合には、これによつて死傷事故の発生を見たとしても、当該運転者に注意義務違反があつたということはできないものと解するを相当とする。
これを本件についてみるに、前に認定したとおり、被告人は自己所有四輪車を七・六米の車道上の左端に駐車しており、(進行方向西に向けて)乗車のため車輛後方に立つて東方を注視したところ、可成りの遠距離に被害者の原動機付自転車が進行して来る前照灯を発見したが、該車道は被告人の四輪車の右側運転者席の扉を開いても、なお車道中央線までに被害者の自転車の通行の余地を十分に残し(約二米)でおり、前方(西方)から進行して来る車輛による妨害等は存在しない状況にあつたので、自車の右側を通つて扉を開いたものであつて、右自転車の運転者において、合理的且つ適正な運転をする限り、衝突事故の発生を避け得られる状況にあつたに拘らず、被害者が当夜飲んだ酒のためか、紛失物を探すべく車道右側に注意を奪われていたためか、前方注視を怠り、約四〇米位に近づいて始めて四輪車の黒い影に気がついたのみで、その尾灯が点灯されていたのも見ず、被告人の歩行姿をも発見しないまま、従つて通行について適宜な措置を講ずることなく、時速約三〇粁位の速度のままで、漫然運転し四輪車に接近して通行しようとしたため、本件衝突事故が発生し、自転車運転者に傷害の結果を見るに至つたのであるから、前に説示したところから明らかなように、被告人にとつては、相手がかゝる危険な行動をとることの可能性がある客観的状況にあつたことを肯認し難く、これを予見し得たものと是認することはできないものというべく、被告人に本件業務上過失傷害罪の成立を肯定するに由ない。
してみると、原審が被害者中原正尚の側にも過失があることを否定し得ないと判断しながら、被告人に過失責任ありと認定したのはひつきよう、業務上過失傷害罪の法令の解釈適用を誤つたか、事実の誤認をしたことに帰着し、右の誤りは判決に影響を及ぼすこと明らかであるから、原判決は破棄を免れない。論旨は理由がある。
そこで、当裁判所は刑事訴訟法第三九七条により原判決を破棄し、同法第四〇〇条但書を適用して更に自ら判決をすることとする。
本件公訴事実の要旨は、被告人は自動車の運転を業とする者であるが、昭和三七年四月一三日午後一〇時二三分頃佐賀市巨勢町所在城東モータース前国道三四号線の佐賀市方面(西方)に向けて道路左端に停車させている軽自動四輪車に乗車するため同車の後方より道路の中央寄りの運転者席右方に近づき同席の扉を開こうとしたが、不注意にも同車の右側方を佐賀市方面に向い進行する車輛に対する注意を怠つたまま開扉にかかつた過失により、折から同車の右側方を第一種原動機付自転車に乗つて同方向に向け進行中の中原正尚が至近間隔で進行しているのに気付かず同扉の先端を同人の自転車ハンドル右端に接触させて同人を路上に転倒させ、因つて同人に対し加療約一ヶ月を要する頭蓋打撲等の傷害を負わせたものであるというにあるが、犯罪の証明がないから刑事訴訟法第三三六条により被告人に対し無罪の言渡をすることとする。
よつて主文のとおり判決する。
(裁判官 岡林次郎 臼杵勉 平田勝雅)